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考古学のあゆみ [Intellectual History]

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ブライアン・フェイガン(小泉龍人訳)
考古学のあゆみ 古典期から未来に向けて(科学史ライブラリー)
朝倉書店 2010年 xx+310頁

第1章 過去への好奇心
第2章 人類の太古
第3章 ファラオとアッシリア
第4章 人類進歩と三時代法
第5章 初期アメリカ考古学
第6章 聖書と文明
第7章 文化編年の誕生
第8章 世界の果てまで
第9章 考古学の成熟期 1920-1940年ごろ
第10章 文化編年以降
第11章 放射性炭素年代測定法と世界先史学
第12章 「ニューアーケオロジー」?
第13章 プロセス主義以降
第14章 考古学の未来

付図 世界の主要な遺跡
年表 1600年以降の考古学上の主要な出来事
用語解説 主要な遺跡名と専門用語

文献
訳者参考文献
原著者紹介
訳者あとがき
人名索引
事項索引

Brian M. Fagan
A brief history of archaeology. Classical times to the twenty-first century.
Pearson Education 2005

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こちらが異端の考古学史とするならば、本書は正当な考古学史。こうして世界史記述は塗り替えられていくのだというのがよくわかる本である。日本ではあまり知られていない北アメリカの考古学についても十分に触れられている(アメリカの本だから当たり前だが)。

19世紀から20世紀にかけての考古学、つまりツタンカーメンやシュリーマンだけが考古学ではない。近世の古物研究や、20世紀後半の方法論的転回も同じく考古学の範疇である。とりわけ近世ヨーロッパにおける過去への関心は、今やひとつの学問分野となった。事物や自然に対する関心と聖書解釈学の交錯する場である。先駆的かつ著名な論文に、A. Momigliano, "Ancient history and the antiquarian." Journal of the Warburg and Coutauld Institutes 13(1950), pp. 285-315がある。

以前、日本の歴史学の最も弱い点のひとつは史学史であるといった。もちろん史学史の本はいくつか出ているし(たとえば永原慶二『20世紀日本の歴史学』吉川弘文館 2003年など)、それはいずれも勉強になるが、私ののみるかぎり、そこには歴史意識のあゆみに過度に重心をかけるという日本独特の偏りが見られる。史学史とは近代史に他ならないので、書き手たちの近代日本観がそのまま反映しているのである(これはまたどこかで書こう)。それに対して、考古学や文化人類学は、自分たちの来し方に対して、かなりの研究を蓄積している。この差は一体何なのだろうか。歴史学は歴史をふり返らないのだろうか。

本書の問題は表紙。著者と訳者の名前が離れたところに配字されている上に、訳者のほうのフォントが大きく、かつ太い。背表紙にいたっては訳者の名前しか載せていない。これではまるで訳者による著作かと錯覚してしまう。実際私も本屋で本書が目に入ったとき、まさか翻訳だとは思わなかった。このような配字がだれの発案によるものなのか知らないが、いくらなんでも原著(者)に失礼じゃないか。


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