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The Later Crusades [Medieval History]

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Norman Housley
The Later Crusades. From Lyons to Alcazar 1274-1580.
Oxford: Oxford UP 1992, xxiv+528 p.

List of maps

Introduction
1. The loss of the Holy Land 1274-1370
2. Greeks, Turks, and Latins: the crusade in Romania 1274-1396
3. The Ottoman threat 1396-1502
4. The anti-Turkish crusade and the European politics 1502-1580
5. Latin rule in Greece and the Aegean 1274-1580
6. The kingdoms of Cilician Armenia and Cyprus 1274-1573
7. The Templars and the Hospitallers 1274-1565: disaster and adaptation
8. The enemy within: crusading against Christians
9. The Iberian Peninsula: the rewards and problems of conquest 1274-1415
10. The end of the Reconquista: Granada and beyond 1415-1580
11. The crusade in north-eastern Europe 1274-1382
12. The end of the Baltic crusade 1382-1562
13. Catholic society and the crusade 1274-1580
14. Government and the crusade 1274-1580

Appendix: lists of rulers
Further reading
Index

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十字軍の精神、つまり異教徒をキリスト教化する宗教的情熱は、聖地十字軍だけで途絶えたわけではない。なお異教信仰であちこち穴あきとなっていた「キリスト教世界」の欠けたピースを埋めるために、教皇は十字軍をすすめた。いわゆるナンバーつき十字軍以外の、中世後期の十字軍を総合的に論じた著作。こちらではあまり触れられていなかったので、本書で補足する必要がある。

地中海東部、イベリア半島、バルト海が対象である。ページのかなりの部分は地中海東部に割かれている。イベリア半島やバルト海に関しては本書以外に基本的な研究書もあるので、概略的にということなのだろう。本書の基点である1274年とは、第2リヨン公会議が開催された年である。すなわち聖地十字軍を再度呼びかける公会議であるが、その中心の一人は、かのシャルル・ダンジューであった。ビザンツ帝国の征服までもくろんでいたシャルルは、地中海帝国とでもいうべき支配空間の確立を夢想していた、といわれる。シチリアの晩鐘事件とあわせて、シャルル・ダンジューの名はしばしば口の端にのぼる。しかし、これほどまでに魅力的な彼の歴史的役割の定位は、まだ十分にできていないように思われる。海上王国の君主という点では、クヌート、アングロノルマン朝君主、アラゴン王ハイメ1世、ノルウェー王ホーコン4世らとならぶ人物である。

後期十字軍は、騎士修道会と切っても切れない関係にある。インチキ臭い本がたくさん出ているテンプル騎士修道会、バルト海への覇権を試みたドイツ騎士修道会、イベリア半島の再征服/最植民過程で陸続と生まれたカラトラーバ以下の騎士修道会。いずれも個性的でそれぞれの成立過程と動きそのものが興味深い。日本では、ドイツ騎士修道会を扱った阿部謹也の立派なモノグラフと橋口倫介『騎士修道会』(講談社学術文庫)をのぞけば、目立った著作はない。テンプル騎士修道会など、フランス史の専門家がもっとやってもよさそうだが、翻訳を除けばあまり見かけない。山瀬善一くらいか。

なお著者は本書の続編として、Religious warfare in Europe 1400-1536. Oxford 2002を刊行している。聖戦概念に対する反応史とでも言えばいいのだろうか。政治学者マイケル・ウォルツァーの著名な論文を引き合いに出して議論は始まる。国家を扱うこちらではかけていた視点であるが、宗教改革へいたるコンテクストを考えるならば興味深い本である。もちろん私はぜんぜん知らない分野である。中世後期は、「敵としてのトルコ」イメージが、複雑に増幅されてくるプロセスでもあるようだ。


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