中世の身ぶり [Medieval History]
ジャン・クロード・シュミット(松村剛訳)
中世の身ぶり
みすず書房 1994年 455+xxxv頁
謝辞
序
第1章 古代の遺産
第2章 しるしの宗教
第3章 神の手
第4章 差異化
第5章 修練者の教育
第6章 俗人と聖職者
第7章 身振りの言語
第8章 祈りから法悦へ
第9章 象徴的効力
結論
原注
訳者あとがき
参考文献
図版一覧
索引
* * * * * * * * * *
講義の準備のために再読。やはりよく出来た本でした。
ここやここでも著者はルゴフの教え子たちのひとりで、ミシェル・バストゥローとならぶアナール第4世代の代表格である。本書もパストゥローの著書も、構造人類学の影響を多分に受けており、西洋中世社会そのものがひとつの体系をもつ構造を備えていることを前提に、議論を進める。構造主義の考え方を受け入れるかどうかで本書に対する評価は大きく変わると思うが、そうでなくとも中世社会を特徴的たらしめる身ぶりのカタログとして、今後とも読み継がれるであろう名著であることには変わりない。訳者による後書きも、いかにも文献学者らしいものである。
文献渉猟の徹底振りは流石で、中世史料に関心のない向きはつらいだろうなと思った。昔はわたしも読み飛ばしていた。読み直して意外に思ったのは、用いているテクストが、ほとんどの場合、教会や修道院の典礼や教育に用いられるものにかかわっていると言うことである。考えてみれば当たり前の事であるが、図像や文学作品はそこに記録される身ぶりについて何の説明もないのに対し、典礼書や教育書は身ぶりの意味について解説している。シュミットの関心を引いたのはおそらくこの身ぶりに対する意味づけの記述であり、調べてみるとかなりの数の証言を見つけることができたことで、本書のような議論が可能になったのではないかと推測する。
著者はパリの古文書学校卒。ベギン会の問題について卒業論文で取り上げた。古文書学校卒業者はシャルチストと呼ばれ、博士号は授与されないらしい。日本ではかつて九州大学で教鞭をとった森洋がそこに学んだ。中世文書解読の最高機関のひとつである古文書学校において、どのような講義をするのかとても関心がある。学部の頃、日本史の古文書学の講義に出席したが、3回目くらいから文書のコピーを渡されて、はい、読めという凄まじいものだった。初学者がそれで読めるようになるわけはないと思って友人に聞くと、日本史の連中は、先輩が課外授業で懇切丁寧に教えてくれるらしい。そうした修行を経て、あのミミズが這ったような字を読めるようになるわけである。
表紙の彫刻の表情と裏表紙のシュミットの顔がよく似とる。